ソーシャル・イノベーション・スクールは、多くの企業から高い評価をいただき、サステナビリティと人材育成の分野で共に未来を切り拓くパートナーとしてご活用いただいています。本対談シリーズでは、社員派遣を通じて生まれた実践的な取り組みや気づきを企業の代表者から直接伺い、企業経営者や人材育成担当者の皆さまにとって参考になるポイントをお届けします。今回は、米倉 誠一郎学長が日世株式会社(本社:大阪府茨木市)代表取締役会長の岡山 宏様にお話を伺いました。
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「二世商会」から「日世」へ──戦後に始まった歩み

米倉学長(以下、米倉):
今日は、ソーシャル・イノベーション・スクールを開校以来ずっとご支援いただいている日世株式会社の岡山会長に、インタビューに伺いました。現在は、講座名も「ソーシャル・イノベーション・スクール powered by 日世」として展開しています。
日世といえば、キャラクターの「ニックン&セイチャン」やソフトクリームを思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。
一方で、「なぜ日世という名前なのか」といった社名の由来や、その歴史についてはあまり知られていないかもしれません。
さらに、日世は日本国内で大きなマーケットシェアを持つ企業でもあります。
今日はまず、その会社の概要からお話を伺いたいと思います。
岡山会長(以下、岡山):
創業は戦後の1947年です。創業メンバーは日系アメリカ人二世の5人で、当初は貿易商のような事業をしていました。そのときの会社名が「二世商会」で、二世が始めたことからこの名前になったという経緯があります。
米倉:
なるほど。初めはアメリカとの貿易からスタートしたんですね。その後、ソフトクリームに移ったと。
岡山:
当時はまだソフトクリームは扱っていませんでした。ソフトクリーム事業を始めたのは1951年です。進駐軍のカーニバルでソフトクリームが提供されており、人気商品となっていました。二世のネットワークも活かし、アメリカからフリーザーを10台輸入。百貨店で販売したところ、爆発的な支持を得て、ビジネスを本格的に拡大するきっかけとなりました。
また、ソフトクリーム事業を始めるにあたり、「二世商会」という社名は少し変えたほうがよいという話になり、1952年に「日世株式会社」と社名を変更しました。
米倉:
数字の「二」を「日」に変えたんですね。
岡山:
はい、そのように聞いています。
米倉:
でも、やはり当時は爆発的人気だったんですね。我々の青春時代や子供時代もそうですが、ソフトクリームを食べるのは特別な楽しみでした。
岡山:
ええ、皆さん一度は必ず食べていただいていますね。
万博が起爆剤に──ソフトクリーム製造の国産体制を築く

米倉:
絶対に食べますよね。美味しいなと思って、公園や遊園地に行くと必ず食べる、そんな存在になりました。これが日本全国で爆発的に広まった背景には、高度経済成長やオリンピックも関係しているのでしょうか。
岡山:
そうですね。特に大阪での第1回万博(1970年)が大きな起爆剤になりました。私は1969年にこの会社に入りました。
ソフトクリームが消費者に支持される商品だと判断した後、輸入だけでは対応できないため、まず1953年にコーンの工場を作りました。その後フリーザーも必要になり、1962年にフリーザーの工場を設立。さらに1966年にはミックスの工場も作り、コーン、ミックス、フリーザーを自社で生産して販売するというビジネスモデルを確立しました。
私自身は1969年にこの会社に入りましたが、ちょうどこの3商品が本格展開するタイミングで、翌年の大阪万博もあったため、非常に良いタイミングでした。
米倉:
今の若い人たちは、失われた30年で経済成長のない時代にいますけど、60〜80年代の経済が伸びていく時代は、ビジネスが楽しかったですね。
岡山:
まさにその通りです。入社したばかりの新入社員として万博でソフトクリームを提供する役割を担ったのですが、その時に子どもたちがパッと口にした瞬間に笑顔になるのを見て、「あ、この仕事は楽しい、やりたい」と思いました。
米倉:
天職だと。
岡山:
はい。それは今でも残っています。中国など新しい地域でイベントがあると、やはりその笑顔を見たくて、今でも自らソフトクリームを巻きに行きます。
米倉:
先ほど話に出ましたが、ミックスをフリーザーに入れて、ある程度冷やしてからくるくるっと。
最近では、ヨーグルトなどに入れるフルーツの加工も手がけられていますよね。これはいつごろから始められたのですか。
岡山:
1983年です。私は新しいことに挑戦するのが好きなので、フルーツ事業にはプロジェクト当初から関わりました。ソフトクリームの営業は12年間だけで、その後はフルーツのプレパレーション事業を担当しました。
米倉:
我々もよく見ますが、(ヨーグルトの)ビオやブルガリアなどで果実がポロッと入っていますね。それを作られているんですね。
岡山:
はい、製造・販売を行っています。
シェア70%超、日本から世界へ──中国での熾烈な競争

米倉:
なるほど。大きな柱はコーン、ミックス、フリーザー、そしてフルーツですが、シェアはどのくらいですか。
岡山:
コーンとフリーザーは70%以上、75%近くです。ミックスとフルーツはざっくり55%ほどです。
米倉:
海外展開ということでは、中国が一番大きいんですね。
岡山:
はい。中国、台湾、香港、そして一部ベトナムやタイにも展開しています。
米倉:
我々の経験からも、高度経済成長で人々が豊かになると、お菓子やソフトクリームは憧れの商品になります。特に万博では、訪日外国人も楽しんでいます。そうした中で、中国市場も非常に大きな可能性を秘めているのでしょうか。
岡山:
そうですね。推定ですが、日本のソフトクリーム市場の6倍くらいの規模があります。
中国に行くと、まるでオリンピックのような競争になります。世界のプレイヤーと競争するので、価値観や考え方も変わります。その中で取り組んでいました。
米倉:
コンペティターはどの国のどの会社ですか。
岡山:
日本国内にはもちろん競合はありますが、シェアは高いです。海外では新しい取り組みが非常に早く、例えば中国の「蜜雪(ミーシェ)」という飲料とソフトクリームの専門店があり、3年間で4万5000店舗展開しました。
キオスクのようなテイクアウト専門店です。非常に低価格で販売し、シェアを拡大しました。今年、上場も果たし、外食産業の中で企業価値1位です。
米倉:
中国は本当にダイナミックですね。店舗を出すのはFCさん(フランチャイズチェーン)ですか。
岡山:
はい、店舗運営もすべてFCさん(フランチャイズチェーン)に任せているようです。
米倉:
なるほど、非常に熾烈な戦いをしているんですね。
顧客の笑顔を原動力に──地道な営業が生む信頼と成長

米倉:
では、今度は営業の話に移りますが、笑顔を見たいという思いで、日本各地で営業活動をされてきたということですね。
岡山:
はい。大阪で営業を始め、広島に転勤。その後、東京で1年間、アメリカの外食産業(マクドナルドやケンタッキーなど)への営業を行い、再び広島で所長、名古屋でも所長を務め、その後本社で商品の開発に1年間従事しました。その開発の一環としてフルーツ事業も開始しています。
米倉:
フルーツ事業は外販もしているので、結構大きなボリュームですよね。
米倉:
我々は後発だったので、参入当初は売る場所がありませんでした。日本でフルーツヨーグルトが各乳業で発売され、先行各社は既に契約や投資をしていたため、全く相手にされませんでした。
米倉:
それがここまで成長した秘訣は何だったんですか。
岡山:
正直、軌道に乗るまで7年かかりました。人脈や信頼関係を一つずつ築き上げていったことです。
米倉:
営業は地道な努力の積み重ねなんですね。
岡山:
私たちはB to Bのビジネスですけれども、商品を提案する時や考える時は、買う人と最終のお客さんのことを常に頭に置いています。そう考えながら商品化も含めて取り組んできたので、苦しいとかはあまり感じません。
米倉:
素晴らしいですね。
岡山:
いや、反省する能力がないだけかもしれません。
米倉:
お客さんが喜ぶだろうということを考えて、地道にビジネスを積み重ねてこられたわけですね。
経営学者の楠木建氏が、儲けなきゃビジネスをやる意味がない、と大阪商人のように言っていました。でも結局、儲けるとはお客さんが一番得をした結果がお金になるということです。
自分だけ儲けようと思って儲かっている会社はありません。最後は顧客の笑顔、顧客が満足することを中心に立てると結果につながるということですね。
営業をしていて苦しいとは思わなかったのですね。
岡山:
元々、人と会うのが大好きで、会社に入って会社の費用でお客さんに会いに行けて、いろんな素晴らしい方とお会いすることで感動します。自分にないものも多く、それが営業をしている時の一番の楽しみです。
これからのSDGs実践と、ソフトクリームだから生まれる「楽しい力」

米倉:
日世さんには、本校開校当初から社会貢献やソーシャル・イノベーションの推進にご支援いただいています。御社の社員の方々も受講され、ソフトクリームの残渣を肥料として活用する取り組みなどを実践されています。こうした活動は、ソーシャル・イノベーションの分野で役立っているでしょうか。
岡山:
正直、協賛させていただいた当初は、SDGsが何かもよくわかっていませんでした。ただ、皆が取り組んでいることや、米倉教授のお話を聞いて、きっと面白いことがあるのだろう、という程度の認識でした。
その後、当社の柴田君や村上君がSISの中で、会社では経験できない非常にやりがいのある取り組みを経験し、その結果、仕事へのモチベーションが高まったという報告も受けています。
米倉:
ありがとうございます。
岡山:
今日、逆に先生にお聞きしようと思ったのですが、SDGsって、正直ちょっと踊り場にあるというか、以前の熱気が少し落ち着いている印象があります。
米倉:
そうですね。特にトランプさんや今回の保守党のように、「再生エネルギーなんてクソくらえ」と言う人もいます。でも大きな流れを見てほしいんです。この暑さは尋常ではなく、人間が200年やってきた結果です。それを少しでもみんなで止めていかないと大変なことになります。この大きな流れは変わらないと思います。
世の中を見ると、2015年に「2030年までに」と言ってからもう10年近く経っています。そうすると、難しいのではないか、そもそも課題が間違っていたのではないかという話も出ています。しかしサステナブルというのは持続的であること。一瞬赤字覚悟で売上を伸ばしても持続的ではないですし、「安いんだから地球環境に悪くてもいい」と考えるのも持続的ではありません。
我々が次の世代にどれくらい責任を持つかというと、SDGsのDは持続的に成長することです。人間の成長がなければ暗くなります。しかしSDGsは儲かると思っています。途上国でも、持続的に作り出せて、残渣やフードロスを出さない仕組みのある日本製品は買われます。物を売るだけではなく、そこまで考えたビジネスモデルを作ると、長期的には儲かるはずです。
(日世の事業において、)途上国はこれから伸びると思います。おいしいですし。ただし、価格面で一瞬負けるかもしれません。ですが、なぜこの会社の製品を選ぶのかというと、その会社の姿勢が正しいからです。この大きな流れは変わらないと思います。確かに踊り場ですが、ここを歯を食いしばって頑張ると良いことがあるのです。経営者にとっては、今が厳しい時期だと思います。

岡山:
日世として、この小さな会社で何ができるか。大きなことはできませんが、17の目標の中で、飢餓をゼロにすることは食品会社として重要です。気候変動も大きな課題です。ソフトクリームで飢餓をなくすことはできませんが、ソフトクリームを食べた方が笑顔になる、その「楽しい力」はあります。ある人はソフトクリームに笑顔の神様が宿っていると言います。だから、飢餓をなくす活動と同時に、子どもたちに笑顔を届けることも夢の一つです。
米倉:
いいですね。
岡山:
学長に前もお話ししたと思うのですが、去年、ドバイ、カタール、サウジアラビアに行ってきました。そこでソフトクリームも売っているのを見ました。その後、中国からソフトクリームのミックスを納めてもらい、まずそのエリアを勉強し、それからアフリカを見たいと思いました。2050年には人口25億、2100年には38億になると言われています。
これから仕事をする人たちが夢を持ち、そういう地域をターゲットの一つに置ければと思います。
米倉:
いいですね。世界を知る!今までこんなおいしいものを食べたことのない子どもたちに、お菓子は世界を平和にする重要なデザートだと思います。
同じように本校を支援してくださっている、バームクーヘンのユーハイム河本社長も一緒にアフリカに行った際、子どもたちがお菓子を分け合っていました。誕生日でもらった子が「仲間だから」と言って分け与える姿を見て、お菓子には本当に平和にする力があると感じました。
現在、万博ではロボットがバームクーヘンを焼いて販売しています。職人を連れて行くのは大変ですが、AI付きロボットならアフリカでもどこでも同じおいしさを提供できます。これが彼のモチベーションです。
日本がここまで豊かになったことで、世界に対する日本なりの責任があると思っています。武力では何もできませんが、サステナブルな成長、人間の楽しさ、そして豊かになった時に皆で分かち合う気持ちが、日本の中で最も大事な柱です。中東やアフリカの子どもたちに、このおいしさを知ってもらいたいと思っています。
競争は激しいですが、日本は違う価値があります。そういう意味で、我が校を活用していただき、どう差別化するかを考えてほしいと思います。それは値段やシェア、ブランドだけでなく、プラスアルファの価値も生まれるはずです。

米倉:
最後の話は人柄の部分ですが、一緒にゴルフをやったことがあって、会長は攻めの人だと思います。ご自身ではどうですか。
岡山:
私は若い頃から「攻撃が最大の防御」という言葉がありますが、まさにそれが自分の生き方だったと思っています。ただ、以前の上司に「岡山君、成長したな」と言われたことがあります。少し間を置いて考えるようになったね、と。
米倉:
今の若い人たちは、SDGsも大事ですが、やはりシェアを取り、利益を上げていくことも重要です。その裏には必ずC(顧客)がいます。給料をくれるのは学校や社長かもしれませんが、本当の意味で支えてくれるのはお客さんです。その原点を、会長から感じます。
岡山:
私は常に、お客さんが自分の応援団だと思ってやってきました。
日本のイノベーションの鍵は、技術を活かす『ビジネス構想力』にあり

岡山:
もう1つ、学長にお聞きしたかったのは、(開校当初より)「世界に日本があってよかった」と思わせる国づくり人づくりをしたいというお話でした。そのためには、日本がある程度の力を持ち続けないと、実現はだんだん難しくなります。ご承知の通り、中国はもう圧倒的です。正直、生産力もアメリカの3倍で、車や太陽光などあらゆる分野で優位です。
米倉:
今後はAIも含め、すべてですよ。
岡山:
そういう中で、日本は人口が減少していきます。移民で補うことも可能かもしれませんが、日本があってよかったと思わせるのは、日本人の価値観があってこそです。それを守るには手遅れかもしれませんが…
米倉:
そんなことはありません。手遅れではありません。先ほどのASEANの統計でも、世界で最も政治的・軍事的に大国だと思う国は80%が中国、次にアメリカが60%、日本は10%程度です。しかし、平和や繁栄の面で最も信頼できる国は日本で、アジアの人たちにとっては60%とダントツです。その次がEUで38%、アメリカ、そして中国は16%です。ここが非常に重要です。中国は経済力、政治力、軍事力すべてに優れていますが、同じ土俵で戦ったら勝ち目はありません。しかし、世界の人々は日本を信頼しています。それは、日本の品質の良さや、商売のルールを守る姿勢、納期を守るなどの積み重ねの結果です。そして、日本は80年間戦争をしてこなかった。この価値を世界に伝えることが大事です。
さらに、日本はまだイノベーションの余地があります。戦後の日本のイノベーションを調べると、内視鏡やCTなど、日本が開発したものが数多くあります。これを総合して最先端の病院を日本に作り、世界に展開しようという試みもあります。実際、今でも日本の人間ドックを受けに海外から人が来ます。キャラクターやゲームも、マリオや鬼滅の刃など世界に影響を与えています。
イノベーションというと技術だけに目が行きますが、その技術を活かすビジネス構想力も必要です。山中伸弥さんのIPS細胞のように、最先端技術をパッケージ化して世界に展開することが重要ですが、ここが弱い。これはエンジニアの問題ではなく、ビジネス構想力の課題です。日本には技術力はあります。それを基盤に、世界に向けて展開していくことが求められます。
(日世でいうと)この「ソフトクリーム帝国」を世界中に展開していこうというビジネス構想力です。そこが(日本全体的に)少しシュリンクしていると感じます。だから僕は、SDGsを正面に掲げながらでも、ビジネスを拡大していく必要があると思っています。
お金や安さだけではない価値を基軸にして、「やっぱり日本製品が欲しい」と思わせるものを、次の世代のためにも構築しなければなりません。スマートシティのように家電やいろんなものが繋がる世界も良いと思います。ただ、世界に売ろうという構想力を持った会社があまりないのが現状です。日本の家電は良いものを持っていますが、構想力がないために迷走している面があります。構想力さえあれば可能性は大きいと思います。
このことを、皆さんにも伝えていきたいです。学校の中でも、SDGsを基軸に「清く正しく貧しく」ではなく、「清く楽しく豊かに」という考え方を広めたいと思っています。儲からなければビジネスではありません。これを新しい基軸として、頑張って教えていきますので、今後ともご支援をよろしくお願いいたします。

【企業情報】
日世株式会社
Webサイト:https://www.nissei-com.co.jp
『事業を通して「笑顔あふれる幸せづくり」に貢献していく』を理念に、1947年に設立。1951年に日本初のソフトクリームを紹介したパイオニアで、ソフトクリーム液体原料(ミックス)、可食容器のコーン、製造機フリーザーの製造・販売を手がける総合メーカーです。
近年は、製造時に発生する排水残渣を堆肥化する取り組みや、廃棄される試作品の活用など、フードロス削減と新たな価値創造にも挑戦。 大阪・関西万博では、乳・卵アレルギー対応のソフトクリームを提供し、幅広い世代が楽しめるブースとして話題となりました。
同社所属 SIS卒業生 村上さんの活動実例: https://web.cr-sis.com/interview/voice5/
同社所属 SIS卒業生 柴田さんの活動実例: https://web.cr-sis.com/case/vol7/